上平研究室の平山と申します。
私の研究は
「高校生の思考力を向上させるためのインターネットソリューション開発」
というテーマのもと進めています。
今回は、なぜ私がこのようなテーマで研究を進めようと思ったのか、
その経緯を語っていきたいと思います。
いきなり質問ですが、
みなさんが高校生だった時、どのような生徒でしたか?
私は、とにかく自分の意見を貫く生徒でした。
その意見が間違っているとは思いもせず、周りを見ずに貫く生徒でした。
つまり客観性がない生徒でした。
私は最近になって、その理由を突き詰めてみました。
なぜ客観性がなかったのか。
これを考えたときに行き着いた結論は、
「自分の価値観だけで物事を考えているからだ」
でした。
少し話を変えます。
私は、塾でアルバイトをしています。
今の中学生や高校生と触れ合う機会がたくさんありました。
いろいろな塾生から出てきた言葉というのはとても興味深く、
「なんで数学をやっているかわからない。将来に必要がない。」
という意見が多いです。
私は、先ほど述べた結論と、塾生の言葉を照らし合わせると、
案外客観性がないのは自分に限った話ではないのかなと思うようになりました。
「数学なんて将来必要ない」というのを分析してみます。
彼らは、例えば証明というものが、どのような場面で必要となるのかがよくわからず、必要ないという言葉が出てきてしまいます。
しかし実は、「証明の問題を解くための思考プロセスが今後の将来に活きてくる」からこそやっていて、その考えまで至らないのでしょう。
私が、「証明の問題を解くための思考プロセス自体が大事」という結論にたどり着いたのは
「なぜ数学を学ぶ必要があるのだろう?」
と考えたからでした。
「数学なんて将来必要ない」と考える前に「なぜ、その必要がなさそうなものを時間とってやっているのか」と、思うことが重要なのではないかと思います。
こういう風に思って行くことこそが、客観性につながるのではないかと考えたのです。
では、なぜそのように思ってくれないのか。
それは、生徒が「受け身」だからだと思います。
みなさんは、勉強を進んでやっていましたか?
私はやりませんでした。勉強は大嫌いでした。
ただ、大人たちが「やれ」とうるさいので、とりあえず点数を取ることを目標にして勉強していました。
このように勉強をされていた方も多いのではないでしょうか。
とりあえず「やらされているからやる」。
これが考えていることをやめる理由の一つだと思います。
だから、考えることに慣れていない私は、周りのことは考えずに自分の価値観だけで意見を貫いていたのだと思います。
そして、塾生の言葉からも、私みたいに考えることが慣れていない子たちが多いのではないかと感じています。
私は、生徒が主体的に考えていってほしいと考えています。
しかし、それは現在の日本の受験体制を見ると、授業で主体性を持たせていくのはなかなか難しいのかなとも思います。
ならば、別の機会に、主体的に考えてもらえるようなツールを作っていけばいいのではないかと考えました。
だから、現在の研究テーマなのです。
現在、主体的に考えてもらうためにはどのようにすればいいのかを考えていて、
それは、カンジヤマ・マイムさんからヒントを得ています。
今回はそれを書いてしまうととても長くなってしまうので、また別の機会にしたいと思います。
もし興味がある方がいましたら、またブログを見に来てください!
では、失礼いたします。
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